リュックを信用できない男
リュックサックを使うのが怖い。
だって怖くないですか?
完全な死角に自分の貴重品の全てを預けてるんですよ?
背後から開けられても気付けないんですよ?
大学生なので教科書やPCを持ち運ぶのにリュックは使うが、とにかくリュックが信用できない。
満員電車でリュックを降ろしていない人を見ると、迷惑とか以前に荷物を抜き取られないか見ているこっちが不安になる。
もしやられても絶対気付けないと思う。
このように僕はリュックというか日本の治安を信用していないので、リュックを使う時も5分おきに開けて中身を確認するクセがついている。
友人にはウザいとかよく言われるが、これはもう恐怖とか不安を解消する行為だから勘弁してほしい。
ここまで読んでもらって、僕のことをやりすぎ、考えすぎだと思うだろうか。
しかし想像してみてほしい。
金銭的被害は取り返しがつく。
しかし、背後からリュックを開けられることで引き起こされる「最悪のケース」はそんなものではないはずだ。
以下、想定できる限りのケースをまとめてみたので是非参考にしてほしい。
①551の豚まんを入れられる
一発目から関西人ネタで申し訳ない。
しかし、背後からリュックを開けられる場合、荷物を抜き取られることばかりを警戒してしまいがちだが、同時に「ものを入れられるリスク」も考慮すべきである。
これが盲点になっている人も多いのではないだろうか。
551の豚まんは美味しいが、かなり匂いが強いのでカバンの中のものに100%匂いが移る。
美味しさを差し引いても若干マイナスだろう。
ちなみに、大阪人の9割は「電車内に豚まんを持ち込むオバハン」というテロ集団に遭遇したことがあると言われている。
②うんこを入れられる
あなたは自分のリュックにうんこを入れられる可能性を考えたことはあるか?
サイコキラーが遺体をめった刺しにするのは、怨恨ではなく「生き返るかもしれない」と考えるからだという。
つまり、自分の理解の及ばない人間というのは存在するのだ。
それはリュックにうんこを入れられる可能性がゼロではないということも同時に示している。
カバンにうんこを投げ入れられたが最後、浅くない精神的ショックを受けるとともにカバンごと中身も捨てることになるだろう。
③水を入れられる
②と③を比較してみると確実に前者が気分的には最悪であり、より悪質ではないかと思うかもしれない。
しかし、ある面ではこちらの方が悪質である。
というのは、PCやカメラなどの精密機器は通常、ケースに入れて持ち運ぶ。
うんこの場合はケースを捨てれば中身は無事で済むが、液体を入れられるとケースの材質にもよるが浸水して機器を故障させる原因となる。
本や書類なんかも台無しになってしまう。
④おしっこを入れられる
②と③のハイブリッドである。こんな事をする輩(実在するのかは別として)は本当に悪質かつ卑劣極まりないので、早急に国外追放すべきである。
⑤手紙が添えられた手作りのお菓子を入れられる
知らない人の手作りほど怖いものは無い。
しかも手紙が添えてあるとなれば、手紙を見るのも怖いが見ないのも怖いだろう。
八方塞がりである。
⑥エロ本を入れられる
これも悪質だ。
特に朝の通勤・通学中にやられてうっかり職場や学校で見られると、当分のあいだ陰で「快楽天センパイ」というあだ名で呼ばれることになる。
⑦うんこの付いたエロ本を入れられる
②と⑥のハイブリッドである。
「そういうニッチな性癖をお持ちなのかな…?」と思われてしまうし、その前に間違いなく通報されるだろう。
⑧極小のGPS発信器・盗聴器を入れられて気付かないうちに行動パターン、住所、人間関係や会話の内容までもを把握・記録され…
この後はご想像にお任せします
いかがだっただろうか。
これでリュックを使うことの恐ろしさを分かっていただけたら幸いである。
リュックを使うなとまでは言わないが、
もう少し危険性というか怖さを知った方がいいと思うんですけど先生はどう思いますか?
ねえ、ちょっと聞いてるんですか!先生!
はい?
お薬増やしておきますねってちょっと!
聞いてくださいよ先生!
ーーーー日記はここで途切れているーーーー
やってもいいけどやらない方が良いこと
あれは3ヶ月くらい前だったか。
月の初めの晴れた夜だったことは記憶している。
金曜日のバイト終わり、バイト先の友人(以下Aとする)と帰りがたまたま一緒になった。
話しているとお互いに明日の予定が無いということで、そういう気分だったのもあり「じゃあ明日2人で飲みにでも行こう」ということになった。
思い返せばこの会話が全ての元凶だったのだが。
そして翌日。地元の駅でAと集合して、いつも行く地元の居酒屋へ向かった。
満席だった。
気を取り直して別の店を何件か見に行くも、ことごとく満席だった。
私の地元は都会とはいかないまでも、駅周辺にはイイ感じの飲食店が軒を連ね、特急も止まる。そこそこ賑わっている。
おまけに給料日後の土曜日夜とあれば、予想できたはずの事態であった。
全ては予約もせず飲みに行こうとした私の浅はかさが招いた事である。
どうしたものか。もう居酒屋のアテは無い。
状況が変わったのは次の瞬間だった。
私が自らの浅慮を恥じながらグーグルマップで「居酒屋」と検索していると、
Aが突然「この時間に空いてる店って逆に美味しいんじゃない…?」とこぼしたのだ。
美味しい店は皆行くんだから客がいないってことは美味しくないんだよ。逆って何?
私が聞き返すと、
Aは「ガラガラの店はみんな敬遠するから、意外と開拓されていない名店もあるかもしれない」と続けた。
冷静に考えるとそんなはずは無いことは分かっている。
今では「ガラガラの店はひと通り開拓された結果ガラガラなんだよ」と反論することもできる。
しかしその時、彼の言葉に「救われた」と感じた自分がいたのも確かである。
(店を調べるのがめんどくさかったから。)
結局、なかなかそういう機会も無いから(便利な言葉ですね)と自分を納得させ、私は彼の提案に乗った。
適当に歩いて、最初に目についたガラガラの店に入ることにした。
とは言っても、ただ歩いているだけでガラガラの店なんて見つかるものだろうかと思っていたが、それは杞憂に終わった。
ホルモン焼き屋。
道路に面したホルモン焼き屋なのだが、道路側がガラス張りになっており、客が一人もいない店内が丸見えになっている。
食べてるところも通行人から丸見えだ。いいぞ、これは入りたくない。
そういう趣旨なので躊躇なく入店する。
これはこの時発見したことなのだが、客のいない居酒屋ってめちゃめちゃ声が響く。
20席ほどで広くはない店内だったが、通常は騒がしいはずの居酒屋でこんなにも声が響くものなのか。
なんとなく私とAは声を潜めてしまう。
そんなもの悲しさをかき消すように店内にはデカめの音量でテレビがつけられていたが、
バラエティ番組の笑い声がかえって店内の侘しさを際立たせているような気がした。
ここまでは料理以外の部分でマイナスの印象を受けていたので、まだ希望があった。
もしかすると本当に、ここがAが言っていたような隠れた名店なのかもしれない。
メニューにおすすめと書いてあるものを中心に2人で4~5品注文する。
しばらくして、注文したものが運ばれてきた。
結論から言えば、美味しくなかった。
厳密に言うと決してマズくはないのだが、情熱ホルモンの方が明らかに安くて美味い。ビールはちょっと薄かった。
別の店で飲み直そう、Aとアイコンタクトを取り、会計をする。
お酒も全然飲んでないのに一人3000円ぐらいして、首を捻りながら店を出た。
お通しがいくらだったのかは今となってはもう分からない。
後で調べてみると、
その店は食べログ、ホットペッパー、Google、全てのサイトでレビューが0件だった。
ひょっとしたら狐に化かされていたのかもしれない。
写真と記憶を頼りに書く半年前のヨーロッパ旅行記
昨年10月、このブログでこういった記事を公開した。
9月に行ってきたフランス・スペインのヨーロッパ旅行の思い出を、一日ずつ記事にするというものだ。
ただこの記事、二日目まで書いたところで完全に飽きて放置してしまっている。
いま見返してみると二日目の途中からかなり雑になってるし。なんだこれ。
このままにしておくのも気持ち悪いので、昨年9月のヨーロッパ旅行の三日目以降を”記憶と写真だけを頼りに”ダイジェストで記していきたいと思う。
【三日目】
朝起きて世界的に有名なグエル公園へ行った。
工事中でした。
気を取り直してカタルーニャ音楽堂へ。
ここは凄かった…建築の知識が全く無い僕でも柱の彫刻、ステンドグラスの持つ迫力と歴史の重みを感じて圧倒されました。
良いカメラ持ってるともっと楽しいかも。
夜はなんちゃら市場に行ってアヒージョやら生牡蠣やらを食べました。
よくあたらなかったな…
おいD(「美味しい」のさらに上)。
【四日目】
ガウディ建築の代表作、カサ・ミラ(だっけ?)を見に行きました。
ここは今でも住める現役のアパートらしく、友人と「敷金やばそう」「火災保険入れるのかな」などと話していました。
午後はサクラダファミリアへ。
ルーブル美術館はアフリカ系、アラブ系の人も多く来ていてあらゆる人種の人が集まっている印象でしたが、サクラダファミリアはアジア系の人が目立っていたような印象を受けました。なんででしょうね。
夜は、まあ海外旅行だしと思って勘で入った店が「完全にアタリの店」で、美味しいし高くないし英語通じるし最高でした。
【五日目】
カンプノウのスタジアムツアーに行きました。
ベンチにも座れて最高でした。サッカー知らなくても単純にめちゃめちゃデカいからテンション上がると思います。
その後移動のために乗った地下鉄の駅でスリに遭って(財布は死守した)、それがショックすぎて午後のコトはあんまり覚えてません。
これはスペインの鳩。
【六日目】
バルセロナ⇒パリの移動。
パリの宿に着いてからはそれぞれ別行動して行きたいところへ。
僕は散歩しながら高くてうまいめしを食べ歩きしてました。
おいD。
友人はハイブランドの店をウインドウショッピングしていたそうです。
【七日目】
ヨーロッパ旅行最終日。エッフェル塔で一通り写真を撮ります。
この日も最後なので高くてうまいめしを食べました。
ビストロのフランス語のメニューの中で一番安いのを頼んだら、牛肉のタルタルが出てきました。
めちゃめちゃ美味しかったんだけど本当によくあたらなかったな…
だいたいこんな感じの旅行でした。
生ハム、サングリアは日本のと全然違っておいDので行ったら絶対食べたほうがいいです。
トロッコ問題の話
トロッコ問題(トロッコもんだい、英: trolley problem)あるいはトロリー問題とは、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験。フィリッパ・フットが提起し、ジュディス・ジャーヴィス・トムソン 、ピーター・アンガーなどが考察を行った。人間がどのように道徳的ジレンマを解決するかの手がかりとなると考えられており、道徳心理学、神経倫理学では重要な論題として扱われている。(Wikipediaより引用)
トロッコ問題。内容に関しては誰もが一度は聞いたことがあるだろう。
「自分が何もしなければ線路上にいる5人が死ぬが、分岐器を切り替えれば5人は助かるが別の1人が死ぬ」というやつだ。
皆がそれぞれの理由に基づいて切り替える・切り替えないの結論を持っていると思うが、僕は切り替えない派だ。
なぜなら、どちらにしても人は死ぬんだから僕自身としてあんまり関わりたくないし自分が手を加えることで運命を変えたくないからである。
5人は自分が居合わせなくても死ぬが、自分が居合わせたことで死ぬ人がいるのは気の毒だ。
それに、トロッコだって5人も撥ねるなら3人目ぐらいまでは即死かもしれないが、勢いが弱まって最後の一人くらいは助かるかもしれない。僕は5人目のガッツに賭けたい。
一応こう結論を出してはみたものの、この問題、いささか前提不足には感じないだろうか?
実際その場に居合わせたならば、線路上の人間の容姿や体格だって確認出来るだろうし、他に判断材料もあるかもしれない。
上の図のような男子トイレのマークみたいなやつでは判断しかねる。
先に、僕は「切り替えない派」だと述べたが、ではもし仮に進路を切り替えた先に立っているのがトムクルーズだったらどうだろう?
僕は一切の躊躇なく分岐器を切り替えるだろう。
爆弾を積んだ殺人戦車とかならまだしも、トムクルーズがトロッコに撥ねられる映像はとてもイメージできない。たぶん間一髪で避けるか、トロッコと線路の間に潜ってやり過ごすだろう。逆にトムクルーズの死因がトロッコだったら笑っちゃうと思う。
それこそミッションインポッシブルだ。
しかしこれではフェアではない。
それでは、「線路を切り替えた先にいるのがトムクルーズ」かつ「元々の進路上にいるのがエクスペンダブルズの9人」だったらどうだろう。
あっ、すごい。すごい安心感。
もうこれどっちでもいいわ、切り替えても切り替えなくても。絶対誰も死なない。
最近運動不足だし切り替えとこうかな?
元々の進路にいる人数だけで言えば倍近くになっているのに、すごい安心感である。(最強無敵ってデッカく書いてるし)
というか、分岐に差し掛かる前にスタローンあたりがRPGでトロッコをブッ飛ばしそうだ。
もうこんな状況だったら完全にリラックスして、写真を撮って「トロッコ問題なう笑」ってツイートすると思う。
もうこうなるとトロッコ問題は機能しなくなることがお分かりいただけただろう。
このように、良い問題を作るには綿密かつ十分な前提条件が必要となるのである。
そう、決して思考実験に対しての詭弁だとか言ってはいけない。
日本とアメリカに見る就活と恋愛観の類似性に関する考察
僕ももう大学3回生となり、最近は周りから就活の話を聞くことが多くなってきた。
友人から聞いた話によると、なんでも文系就職では2~3年ごとに担当部署を変える「ジョブローテーション」という制度があり、それを売りにしている企業もあるらしい。
これに加えて院卒などのプロフェッショナルは単価が高くなるということもあるのだろう。
一つの分野に精通した人材は必要とされていないそうだ。
そもそも日本の大学の構造が入学さえしてしまえば4年間遊んでいても卒業できるようになっているので、就職だけが目的ならプロフェッショナルになる必要はない。
それゆえ、「日本の新卒は4年歳をとった高校生が入社してくるのと一緒」とまで言われる始末だ。
また、同じく単価が高くなるという理由から一般的に中途採用も敬遠されがちだ。
かなりざっくりと書いたが、この2つが日本の就活生が病的なまでに必死になる構図を生み出しているといってもいいだろう。
ここでアメリカの就活事情を見てみる。
アメリカでは日本と対照的に、営業職に何人、事務職に何人といったふうに職種により採用枠が決まっているのが一般的だ。
転勤はあっても部署の異動なんてものは無いし、希望した部署にしか配属されない。
また、ヘッドハンティングをはじめとした転職によるキャリアアップという考え方も日本よりは遥かに一般的だと言えるだろう。
どうだろう。こうして比較してみると、日本企業の気持ち悪さが浮き彫りになってこないだろうか。
付き合う(採用する)人は処女(新卒)が良いだぁ?童貞かよ!
なんて僕は思ってしまうが、この喩えも案外的を射ているのではないだろうか?
言い換えると、日本vsアメリカに限るとコストなど実利上の部分を越えて、”企業が人材に求めるもの”と”異性に求めるもの”は共通しているのではないだろうか?
日本では伝統的に「恥の文化」が重んじられており、高度経済成長期以前は見合い結婚して生涯イエに嫁ぐことが一般的だった。
現在では日本における離婚率は上昇傾向にあるが、この国には、特に現在経営者である世代には、「一人のパートナーと生涯連れ添うもの」いった歴史的に築かれてきた価値観がある。
恋愛禁止などといったルールがあり、処女性を重視しているアイドルが日本(アジア圏)にしか展開されていないのも決して無関係ではないだろう。
このように、日本では異性に対して処女性を求めたり、他の異性の影が見えるのを嫌う傾向にある。
それに対して洋画などを見ていると、ある程度恋愛経験が豊富な人物が魅力的なキャラクターとして描かれていることが多い気がする。
それはやはり、男性・女性として魅力的=恋愛経験が豊富という図式があるからだろう。
以上の、日米に見られる異性に対する価値観の違いはそのまま前述した就活の話に当てはまる。
日本企業は他の企業の価値観に染まっていない新卒が欲しい。
アメリカの企業は実績のあるプロフェッショナルが欲しい。
どちらが優れているのかは、ぜひ貴方に考えてみてほしい。
(結論丸投げ)
参考
デーブ・スペクターとヨッピーがガングロギャルと平成最後の激論!時代遅れな「昭和の会社あるある」を斬る! - ライブドアニュース