じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

天一の本店とパイズリの話

(※今回は濃い目の下ネタが含まれるのでご了承ください)

 

 

突然だが、皆さんは天下一品の京都本店に行ったことがあるだろうか?

 

 僕はある。

まあ基本的には?普通の天一なんだけど?

やっぱりちょっと違うんだよな~

なんか美味いんだよな~

 

今回はそういう話である。

 

 

 

 

先日、友人二人と飲んでいたところ「パイズリを実際にしてもらったことのあるヤツは実在するのか」という話になった。

 

僕と友人(童貞)の一人はもちろん経験が無かったので、どんな感じなんだろうな、と二人で盛り上がっていると、

それまで口を閉じていたもう一方の友人(風俗狂い)がおもむろに呟いた。

 

「俺はあるで」

 

「「マジかお前!!!!」」

 

僕と友人(童貞)は思わず口を揃えた。

話を聞くと東京へ一人で旅行へ行った時に、そういうマッサージ店のオプションサービスとして経験したらしい。

そして彼は続けてこう言った。

 

「いや~まあそんな言うほど気持ち良くはないけどな~

まあでも征服感っていうの?その良さがあるかな」

 

言ってみてえ。これ。こういう事ですよ。

 

冒頭の話を思い出してみてほしい。

天下一品の本店に行ったことがある人は置いておいて、

行ったことのない人の多くは「へぇ~行ってみたい」と思ったのではないだろうか?

 

そう、この世には「経験した者のみが言えるセリフ」が無数に存在する。

そしてそのセリフは使いし者に至上の優越感を与える魔法の呪文である。

しかもこの種のセリフは、受け手にとって非常に強いモチベーションになることが多い。

 

例えばあなたにどうしても観たい映画があったとしよう。

先に観た人から「あんまり面白くなかったよ」と言われたとする。

それを聞いてあなたはどうする?

観に行くのをやめる?恐らく一回は観に行ってしまうのではないだろうか。

 

この例で言いたいのは、

他人から聞いた話と自分で経験することは全く別の問題だということだ。

 

つまり「言うほど気持ち良くはないけどな~」なんて聞いたところで、

パイズリはされてみたいのである。

 

もしパイズリしてあげるよ~って人がいたらTwitterまで連絡お願いします。

 

最後になりましたが、この話を通して何が言いたかったかというと、

「自分で経験して、自分の言葉で語れること」を増やしていくことこそが、人生の意味なのではないのでしょうか。

 

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以上、卒業生代表からの答辞でした。

続いて、来賓の方の祝辞に移ります。