じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

ツイッターの動物キャラと宗教の話

言葉の持つ説得力は、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」で決まる。

 

 

古くから知られてきたこの世で数少ない真理の一つである。

同じ「人間の価値は財産で決まらない」というセリフを言うにしても、孫正義が言うのと窪田正孝みたいなヒモメンが言うのとでは説得力に雲泥の差がある。

 

しかし考えてみてほしい。これは裏を返せば、権威ある人の言うことは、多少滅茶苦茶でも信用してしまう、とも言えるのではないだろうか?

 

僕はその最たる例が、宗教の戒律だと思う。(※あくまで一個人の感想です)

 

というのは、まだ科学が未成熟な時代に、先人たちは経験則から得た自分たちの身を守るための知恵や工夫を神に代弁させることで説得力を持たせ、強制力を高めたものを「戒律」としたからだ。(※あくまで一個人の感想です)

 

例えば、イスラム教において豚を食べることは禁忌とされているが、その理由はコーランでは「豚は不浄だから」とされている。

しかし実際の理由は、豚は保存技術が未発達な当時では感染症のリスクが大きかったから、あるいは、豚は牛や羊のように副産物として毛皮や労働力をもたらさないからなどと考えられている。(諸説あり)

 

このように、宗教における戒律は実利的な側面を持つことが多々ある。(※あくまで一個人の感想です)

 

 

ここで話は飛ぶが、皆さんはツイッターで度々バズっている、「しか〇ねこ」や「肯定〇ンギン」などの動物キャラはお好きだろうか?

今、ツイッターは様々な動物キャラがしのぎを削る動物キャラ戦国時代である。

この手のキャラクターは、「可愛い動物+メッセージ性」という構造が定式化されているが、これらの動物キャラが人の心を掴む様が、宗教と同じ構図をとっているように思えてならないのだ。

 

どちらもフックとなる存在、象徴(動物、神)がメッセージ(=戒律)を人の心に素直に受け取られるようにしている。

セリフを考えているのはオッサンだが、キャラクターにしゃべらせることで巧みなマスキングがなされている。

 

宗教の話まで持ち出したが、つまり僕が言いたいのは、近々キャラクターを使って自分の主張を世に発信する輩が出てくるぞ、ということだ。

いや、もしかしたらもう存在しているのかもしれない。

これが科学が進歩した現代における新しい宗教なのだ。

 

 

 

 

それでは最後に、超絶かわいいオリジナルの動物キャラを貼ってお別れしたいと思います。

 

 

 

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