チャーハンおにぎり考
コンビニにチャーハンおにぎりってあるじゃないですか、海苔が巻いてないタイプの。
僕はアレが好きでよく食べるのだが、本当に最近のコンビニのレベルの高さには驚かされる。
100円やそこらにも関わらず玉子、チャーシュー、ネギをしっかり感じることができるし、なによりちゃんとパラパラなのだ。
下手したらそこらの中華料理屋と遜色ない、本格的なパラパラのチャーハンが手軽に味わえる。
企業努力の賜物なのだろう、コンビニのチャーハンおにぎりは本当に最高の食べ物だ。
しかし、そんなチャーハンおにぎりにも一つだけ重大な欠点がある。
それは、そのパラパラさ故にめちゃくちゃ食べにくいということだ。
パラパラさを追い求めるがあまり、おにぎりのメリットである「手軽さ」「食べやすさ」が完全に損なわれているのである。
食べたことのある人なら分かるだろう。
チャーハンおにぎりはひと口かじればパラパラの米がボロボロこぼれるし、食べ終わった後の机の上は王将の厨房みたいになる。
公園とかで食べようものなら鳩が死ぬほど寄ってくる。
そう、アイツはもはやおにぎりではない。
おにぎりに擬態したチャーハンだ。
それでは何故そんなチャーハンおにぎりが世間に受け入れられているのだろうか?
おいしいからである。
もっと言えば、「人間は利便性や食べやすさなどの『合理性』よりも、おいしさという『快楽』を優先する」からである。
日本刀に代表される、武器の持つ美しさというものは、戦士の要求に答えた、「必要」以外を切り捨てた無駄のない造形にあると言うが、
もし武器の美しさを表す単語があったなら、対義語は間違いなく「チャーハンおにぎり」だろう。
チャーハンおにぎり。
うーん、業の深い食べ物だ。
アダムとイブが食べたのは、チャーハンおにぎりだったのかもしれない。