トロッコ問題の話
トロッコ問題(トロッコもんだい、英: trolley problem)あるいはトロリー問題とは、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験。フィリッパ・フットが提起し、ジュディス・ジャーヴィス・トムソン 、ピーター・アンガーなどが考察を行った。人間がどのように道徳的ジレンマを解決するかの手がかりとなると考えられており、道徳心理学、神経倫理学では重要な論題として扱われている。(Wikipediaより引用)
トロッコ問題。内容に関しては誰もが一度は聞いたことがあるだろう。
「自分が何もしなければ線路上にいる5人が死ぬが、分岐器を切り替えれば5人は助かるが別の1人が死ぬ」というやつだ。
皆がそれぞれの理由に基づいて切り替える・切り替えないの結論を持っていると思うが、僕は切り替えない派だ。
なぜなら、どちらにしても人は死ぬんだから僕自身としてあんまり関わりたくないし自分が手を加えることで運命を変えたくないからである。
5人は自分が居合わせなくても死ぬが、自分が居合わせたことで死ぬ人がいるのは気の毒だ。
それに、トロッコだって5人も撥ねるなら3人目ぐらいまでは即死かもしれないが、勢いが弱まって最後の一人くらいは助かるかもしれない。僕は5人目のガッツに賭けたい。
一応こう結論を出してはみたものの、この問題、いささか前提不足には感じないだろうか?
実際その場に居合わせたならば、線路上の人間の容姿や体格だって確認出来るだろうし、他に判断材料もあるかもしれない。
上の図のような男子トイレのマークみたいなやつでは判断しかねる。
先に、僕は「切り替えない派」だと述べたが、ではもし仮に進路を切り替えた先に立っているのがトムクルーズだったらどうだろう?
僕は一切の躊躇なく分岐器を切り替えるだろう。
爆弾を積んだ殺人戦車とかならまだしも、トムクルーズがトロッコに撥ねられる映像はとてもイメージできない。たぶん間一髪で避けるか、トロッコと線路の間に潜ってやり過ごすだろう。逆にトムクルーズの死因がトロッコだったら笑っちゃうと思う。
それこそミッションインポッシブルだ。
しかしこれではフェアではない。
それでは、「線路を切り替えた先にいるのがトムクルーズ」かつ「元々の進路上にいるのがエクスペンダブルズの9人」だったらどうだろう。
あっ、すごい。すごい安心感。
もうこれどっちでもいいわ、切り替えても切り替えなくても。絶対誰も死なない。
最近運動不足だし切り替えとこうかな?
元々の進路にいる人数だけで言えば倍近くになっているのに、すごい安心感である。(最強無敵ってデッカく書いてるし)
というか、分岐に差し掛かる前にスタローンあたりがRPGでトロッコをブッ飛ばしそうだ。
もうこんな状況だったら完全にリラックスして、写真を撮って「トロッコ問題なう笑」ってツイートすると思う。
もうこうなるとトロッコ問題は機能しなくなることがお分かりいただけただろう。
このように、良い問題を作るには綿密かつ十分な前提条件が必要となるのである。
そう、決して思考実験に対しての詭弁だとか言ってはいけない。