じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

トイレと世界平和の話

 

こんにちは、じふです。

長いようで短かったゴールデンウィークも終わり、すっかり世間は日常に戻りました。

僕も朝から研究室に通う日々に戻りましたが、やっぱり休みは長ければ長いほどいいですね。 

 

 

ところで、突然ですが皆さんはトイレに行ったことがありますか?

 

僕は毎日欠かさず行っています。

 

いいですよね、トイレ。あったかくて。

 

 

もちろん自宅のトイレが最高に落ち着けるのですが、

それに次いでリラックス出来るのがデパートやホテルのトイレ。

 

ゆったりとしたBGMがかすかに流れ、間接照明があったり清掃が行き届いている最高の癒し空間です。

 

そんないい感じのトイレでは、個室内のトイレットペーパーが三角に折られていることもしばしばありますが、

 

それを見て

「おっ、トイレットペーパーが三角に折られているぞ、 見た目もいいし取りやすいな」

 

 と思う人が多いかもしれません。

 

 

だが、ちょっと考えてみて欲しい。

この三角に隠された”罠”の可能性を。

 

 

問題は、トイレットペーパーを折ったのが誰かだ。

 

折ったのが清掃員や店のスタッフの人なら何も問題は無い。

細やかな気配り心遣いを感じられるし、安心して尻を拭ける。

 

 

しかし、トイレットペーパーを折ったのが”前にトイレを使った人”だという可能性もあることに気付いてほしい。

 

前の人が折ったペーパー…それはつまり「ウンチをして、洗っていない手で折ったペーパー」だ。

ウンチをして、手を洗ってから個室に戻ってトイレットペーパーを折る人なんてまず居ないだろう。

 

 

そう、トイレットペーパーの三角形は作った人間によって、気配りと思いやりの象徴にも、「ウンチとの間接握手会会場」にもなり得るのだ。

 

そしてどのどちらかを判別する術を我々は持ち合わせていない。

もうこれは、次トイレに入る人を陥れる罠といっても過言ではないだろう。

 

 

 

だからといってトイレットペーパーを折る人を糾弾することも出来ないのも確かだ。

 

切ないことに、ここでは加害者側に悪意がない。

 

むしろ次の人のためにと善意でやっているのだろう。

しかしその親切心は完全に裏目に出てしまっており、結果としてこのような”罠”を生み出すに至っている。

まさにありがた迷惑というやつだ。

(類例として「箸の反対側で大皿を取り分ける」などがある)

 

このように、そこに悪意は無くとも人を傷つけることはできる。

 

逆に言えば 傷つけられたからといって相手に悪意があるかは別問題だし、条件反射的に責めるのも良くない。

 

また、このような問題はそれぞれが少し想像を膨らませ、相手の気持ちを考えるだけで簡単に解決できるのも確かだ。

 

 

そう、想像してごらん。

 

 

Imagine there's no Heaven

(想像してごらん 天国なんて無いんだと)

 

 

ãå°çãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

 

It's easy if you try

(ほら、簡単でしょう?)

 

 

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No Hell below us

(地面の下に地獄なんて無いし)

 

 

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Above us only sky 

(僕たちの上には ただ空があるだけ

 

 

ãæ¥æ¬ãé½å¸ã空æ®ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

 

 

Imagine all the people

(さあ想像してごらん みんなが)

 

 

 


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 Living for today...

(ただ今を生きているって...)

 

 


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