じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

自殺の名所のパラドックス

 

 

 

  • 日本には、「自殺の名所」と呼ばれる場所がいくつか存在する。富士の樹海や、福井県東尋坊などがその代表的な例だろう。

 

  • 調べてみたところ、世界に目を向けてみてもそういった場所は存在するらしい。(主に橋や崖から海への飛び降りが多いようだ)

http://karapaia.com/archives/52122197.html

 

  • しかしながら、こういった「自殺の名所」と呼ばれる場所は如何にしてそう呼ばれるようになったのだろうか?

 

  • 口コミか?

 

  • いや、死人に口なしだ。自殺者が「あそこ良かったよ」なんて言うことはできない。この点においてまず「自殺の名所」という言葉に矛盾がある。

 

  • 思うに、「もし自殺するならここで死にたいな」という感想を抱くような場所、及び価値観は、多くの人で一致しているのではないか?

 

  • あるいは、潮流などの関係で水死体が流れ着きやすい→死体がよく見つかる→自殺の名所、というふうに後付けで呼ばれるようになったか。

 

  • もし前者が正しければ面白いと思う。世界が終わる前日とか、東尋坊に行列が出来たりするんだろうか

 

  • 海や水場が多いのも個人的には気になる。溺死ってかなり嫌な部類の死に方じゃない……?

 

  • 実際のところ、誰が「自殺の名所」とか言い出したのか。

 

  • まあ地元の人のブラックユーモアみたいなやつなんだろうな。

 

  • 例のワニを見ても、「死」というものがコンテンツとして強いことが分かる。みんな死に興味あるんだな〜

 

  • 「死」を経験したことのある人間は1人として存在しない。従って、誰もが未経験である死に好奇心を持つことは自然なことだ

 

  • 類例として、Twitterで反社系のレポマンガがウケる理由も近いところにあると思う。未知の世界への好奇心というものはウケるのだ。

 

  • ところで、今日は私の大学の卒業式だ。早く着きすぎ、時間を持て余して喫茶店でこの文章を書いている。

 

  • 卒業式の日に死の事を考えるというのはどうなんだと思ったが、まあ卒業っていうのも学生生活の死みたいなもんだしな。

 

  • 卒業おめでとうございます。