じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

2021年1月10日の日記


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日曜日。

 

細胞の世話をするため研究室に行き、その後、丸亀製麺で遅めの昼食を食べた。

 

僕は丸亀製麺では毎回必ず明太釜玉うどんを食べる。

ネギと天かすをドカッと盛ってから麺を全部食べ、器に残った明太子と玉子とネギを全部一緒にかきこむのが一番うまい。

午後は髪を切りに行った。

今は就活生の身分なので就活カットを続けているが、全部終わったら学生のうちに思い切った髪型にチャレンジしたいな。

顎髭も伸ばしたい。

 

 

 

 

今日思った事。

 

最近はリテラシー意識の進歩で、いわゆる外見イジリが社会的にアウトだという共通認識が生まれてきた。(テレビでの外見イジリもじきになくなるのだろうか)

 

「ハゲ、ブス」イジリなど「生まれついての、本人の努力ではどうしようもない外見的特徴」をイジるのはもちろん批判の対象となり得るが、じゃあそれらに対して「デブ」イジリはどうだろう?と考えた。

 

前述の「ハゲ、ブス」と比較すれば、決定的に違うところとして「自分の努力(生活習慣の改善)で体型はどうにかなる」という部分がある。

ここで難しいのが、この議論は一歩間違えば「いじめられる側にも原因がある」みたいな話になるところで、僕はここでは一切そういう話はしてない。

 

僕が気になったのはこの2種の外見イジリの性質の違いについてである。

仮にデブイジリを不快に感じる人がいたとして、「現在の生活習慣を続ける(瘦せない)こと」と「デブイジリの不快感」を天秤にかけて「瘦せないこと」の方をとる、そういった心の動きがあったりするのだろうか。

 

まあ種類どうこう言っても道徳的には言葉の受け手が不快に感じた時点で全部アウトなんですけどね。

ただ今書きながら思ったんだけど植毛とか美容整形がある時点で実質的にこの分類意味ないわ。

 

という訳で解散!お疲れ様でした!