じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

2021年1月21日と22日の日記


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大学のローテーブルしかない部屋でZoomをやるときの高さの取り方。

高さを稼ぐためだけに使われている幽遊白書(完全版)。

 

 

昨日は日記をサボってしまった。

書けなかった分、昨日の日記とともに書けなかった理由を記そうと思う。

 

昨日は動物実験の終了日、つまり今まで実験用に飼っていた6匹のマウスを犠牲死(+解剖)する日だった。

学部生時代から何度か経験して慣れたつもりではいてもやはりこの作業には独特な緊張感と疲れがあるもので、帰宅時にはヘトヘトになっていた。

 

夕食後の記憶が無いので、たぶん食事をしてそのまま夢遊病的にベッドに倒れこんだんだと思う。

とまあこんなわけで日記は書ける時間が無かった。

 

 

話は変わるが、僕は趣味で釣りをする。

 

釣れた魚は、美味しく食べるためにその場で〆て血抜きをするのだが、その際には前述したような「独特な緊張感と疲れ」というものは感じない。

 

では何故魚は大丈夫なのにマウスの時は疲れるのか?

 

僕が思うに、「温度」がひとつの鍵になっているのではないか。

 

マウスの安楽死のメジャーな方法としては、「二酸化炭素への曝露」と「頸椎脱臼」の2つがある。

前者はマウスに二酸化炭素を吸わせることで酸欠状態にし、そのまま眠るように生命活動を止めるという方法だ。

 

後者はマウスの頭を抑えつけて思い切り尻尾を引っ張ることで頸椎、つまり首の神経を切るという方法で、頭と身体を一瞬で切り離すため苦しませずに済む。(実際には一瞬でマウスを楽にするにはある程度の練度とコツが必要だが)

僕は、より手軽な後者の方法を用いている。

 

その際に生命活動が止まっているかの一つの指標として、掴んでいるマウスが冷たくなることを確認する。

 

ここが魚との大きな違いだろう。

 

それまで温かかったマウスが自分の手の中で冷たくなっていく。

意識上は何も感じていないつもりでも、そのことによって無意識にストレスがかかって疲れの原因となっている可能性はある。

 

まあ個人的には上記よりも、集中力のいる解剖を6匹分やった疲れが大きいと思うが。

 

 

 

 

 

 

ここからは今日の日記です。

 

 

Coldplay、良すぎんか???

 

oasisのドキュメンタリーを観たのがきっかけで、最近はその辺の時代のブリティッシュオルタナをずっとリピートしている。

 

MUSEU2Radiohead…、いずれも世界的に成功しきっているアーティストだが、最近にかけてその良さを再確認した。(U2はイギリスのバンドじゃないけど)

 

この辺りのジャンルで、「名曲」と呼ばれている評価の高い曲は、どれもアンセムになり得るというか、メロディと歌詞含めて強いメッセージ性があるんだよな。

 

最近はそのメッセージが心に刺さってます。

 

例えば、僕の好きな、U2の『With or Without You』という曲。

 

この曲の歌詞は、一見すると「I can't live with or without you(君がいてもいなくても生きてゆけない)」と歌うラブソングだが、

ソングライターであるボノは、この曲について「責任感のある、ひとりの誠実な社会人としての自分」と「そんな真面目な自分に対してこれでいいのか?と自問するアーティストとしての自分」の間で揺れる、葛藤や苦悩を歌った曲だと話している。

この曲中の「You」は他でもないボノ自身なのだ。

 

僕が言いたいのは、そういう悩みって誰にでもあるよねということだ。

決してU2あるあるネタをやってる歌ネタ芸人だという意味ではない。

 

社会に生きる以上、人は誰もがいくつもの立場、ユングの言うところのペルソナを被りながら生きていて、そんな自分に向き合うほどに自己の内側に矛盾を抱えることになる。

 

そういった誰もが抱えうる普遍的な苦悩に気付いて曲へと昇華しているところが、U2グラミー賞を最多受賞するほどに評価されている一因なのではないだろうかと僕は思います。

 

もっと言えば、僕は「感動」というものは根源に「共感」がないと成立しないと思っていて、

その点でU2の詞と音楽は、非凡さ・新しさと、この「共感」のバランスがとんでもなく高いレベルで両立しているんじゃないかと思う。

 

 

これからも多くの感動が得られるように、感受性を磨いていきたいですね。