【じふのラジオ】#2 合コンの正解
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チャーハンおにぎり考
コンビニにチャーハンおにぎりってあるじゃないですか、海苔が巻いてないタイプの。
僕はアレが好きでよく食べるのだが、本当に最近のコンビニのレベルの高さには驚かされる。
100円やそこらにも関わらず玉子、チャーシュー、ネギをしっかり感じることができるし、なによりちゃんとパラパラなのだ。
下手したらそこらの中華料理屋と遜色ない、本格的なパラパラのチャーハンが手軽に味わえる。
企業努力の賜物なのだろう、コンビニのチャーハンおにぎりは本当に最高の食べ物だ。
しかし、そんなチャーハンおにぎりにも一つだけ重大な欠点がある。
それは、そのパラパラさ故にめちゃくちゃ食べにくいということだ。
パラパラさを追い求めるがあまり、おにぎりのメリットである「手軽さ」「食べやすさ」が完全に損なわれているのである。
食べたことのある人なら分かるだろう。
チャーハンおにぎりはひと口かじればパラパラの米がボロボロこぼれるし、食べ終わった後の机の上は王将の厨房みたいになる。
公園とかで食べようものなら鳩が死ぬほど寄ってくる。
そう、アイツはもはやおにぎりではない。
おにぎりに擬態したチャーハンだ。
それでは何故そんなチャーハンおにぎりが世間に受け入れられているのだろうか?
おいしいからである。
もっと言えば、「人間は利便性や食べやすさなどの『合理性』よりも、おいしさという『快楽』を優先する」からである。
日本刀に代表される、武器の持つ美しさというものは、戦士の要求に答えた、「必要」以外を切り捨てた無駄のない造形にあると言うが、
もし武器の美しさを表す単語があったなら、対義語は間違いなく「チャーハンおにぎり」だろう。
チャーハンおにぎり。
うーん、業の深い食べ物だ。
アダムとイブが食べたのは、チャーハンおにぎりだったのかもしれない。
ドラゴン・エプロン・メモリーズ
大人になったということなのだろうか。
最近は、創作物を見たり製品を使ったりしていると、それ自体よりも作り手に思いを馳せるようになってきた。
これを作った人は天才だな~
何してるときに思いついたんだろうな~
などと、感謝や感動とまではいかずとも、そういう漠然とした感想を抱く。
そうやって製作者の心情や意図を想像することで、まるでツボ押しのように脳みその"クリエイティブ"をつくる部分を手軽に刺激できる気がする。
それで話は変わるが、小学生の頃、家庭科でエプロン作ったじゃないですか。(地域によっては覚えがないかもしれないが)
男子はドラゴンとか炎の柄で、女子はかわいいキャラクターのやつ。
もちろんあれにも、企画した人間がいるわけだ。
責任ある立場の大人たちが会議室の長テーブルを囲む中で、
「ドラゴン柄のエプロンを作りましょう」
そう発言した人間が確かにいたわけだ。
想像してみてほしい。
ホワイトボードに赤で書かれた"ドラゴンのエプロン"の文字。
「よし、ドラゴンでいこう」ゴーサイン。
デザイナーにドラゴン柄のエプロンを発注する。
何度も試作を重ね、デザイン案が決定する。
そしてようやく、生産ラインにドラゴン柄のエプロンが乗ることになる。
毎年ドラゴン柄のエプロンは全国各地の小学校に発送され、子供たちに笑顔を届ける。
そう思うと、小学校以外で売ってるのを見たことがないドラゴン柄のエプロンにも感慨深いものがありませんか?
え?無い?
そうですか無いですか、僕もないです。
バンクシーと100円のビートルズの話
先日こんなニュースがあったが、Twitterやネットニュースで見た人も多いのではないだろうか。
かねてより絵画のオークションに否定的であったストリートアーティスト・バンクシーが、自分の作品が落札された直後に額縁に仕掛けていたシュレッダーで絵を破壊した、というものだ。
とはいえ、絵画の価値は作品自体の技巧に加え、歴史的背景や作者によって決まるらしい。
そのため、この事件によってまた作品の価値が上がるなんて話もある。バンクシーも不本意なことだろう。
このニュースを聞いた時、僕は「最高にかっこいいな」と思った。
資本主義に中指を突き立てる行為。
落札者は気の毒だが、最高にパンクだ。
それから数日経ったある日、僕はCDを借りるため大学近くのTSUTAYAに居た。
CDを選びながら、ビートルズの棚を前にしてあのニュースを思い出す。
ビートルズのベストアルバムが、7泊8日で200円。
バンクシーの絵は1億円。
劣っていると言うと語弊があるかもしれないし、第一、音楽と絵画という別ジャンルの作品を比べること自体ナンセンスかもしれない。
しかし、この2つの作品の価格には事実、これほどまでに差がある。
ただ一点違うのは、音楽はデジタルな情報として共有されるが、絵画は個人によって占有されるということだ。
だからビートルズのもたらした経済効果は1億や2億じゃきかないだろう。
個人的には絵画も画像データとして売ったらいいんじゃないかな、と思うが、それが現実的には難しいからこそ美術館の意義が大きい。
まあ、つまり何が言いたかったかというと、音楽って自由で良いですよね。
ヨーロッパ旅行記二日目
パリ二日目!
よく寝て前日の疲れをリフレッシュした僕たちは、宿の近くのカフェへ朝食を食べに行きました。
僕はバナナとチョコのパウンドケーキみたいなのを食べました。
たぶんブルーチーズ?が練りこんであって、見た目よりこってりしてておいDでした。食べ応えも十分。
あと、カフェの店員さんがラテン系の強面の男性で、三人で「洋画だったら絶対悪役じゃん」とか好き勝手言ってたんですが、帰り際に写真を撮ってくれたり、メニューを英語で説明してくれたりとメチャクチャ親切でした。
映画の見過ぎですね。
その後は町ブラしつつ、あの映画「アメリ」の舞台になったことで有名なカフェで、クレームブリュレと紅茶を頂きました。(僕以外の二人はアメリを見ていなかったのでピンときていませんでした)
そして夕方ごろ、パリの空港からバルセロナへ向かいます。
物凄い弾丸ツアーみたいになってますが、パリにはまた帰ってきます。
2時間弱のフライトを終えてバルセロナ空港に到着。
ここにも銃を持って巡回している軍人がいて、またまた失禁してしまいました。
ちなみに、エールフランスの航空機の座席番号には13だけがありませんでした。
キリスト教における悪魔の数字だからでしょうか。面白いですね。
なんやかんやで宿の民泊に着いたのが午後8時くらいだったので、スーパーで買った飯を食べて寝ました!
トマトのパスタとクロケッタ(チーズとジャガイモが入ってる、トロトロのコロッケみたい)。おいD。
原木から切り出してたての生ハムとクリームチーズ。おいD。
スペインのスーパー、レベル高いです!あと物価が安い!
「おかえりなさい」に何と答える
そりゃ「ただいま」でしょ。
違う。僕が言いたいのはそういう話じゃない。
小学生のころから、ずっと疑問に思っている事がある。
僕は物心ついた時から今まで、ずっと同じマンションに住んでいる。
家族向けのマンションであるため、同年代の住人も多く、母親同士も仲が良かったと思う。
となると、必然的に小学校になる頃には住人の多くが顔見知りになる。
また生活リズムも大体同じになるため、学校が終わり帰宅してくる時間帯になるとかなりの高確率で、廊下やエントランスなどの共用スペースで同じマンションのおばちゃんと遭遇する。
マンションに住んだことのある人なら分かると思うが、夕方、ランドセルや制服を装備しておばちゃんと出会すと、100%「おかえり」と声をかけられる。
僕は、この「おかえり」に対する正しい回答が大学生になった今でも分からない。
普通に「ただいま」と返せばいいじゃないか、と思われるかもしれない。
でもそれはあまりにも家族っぽすぎないか。
同じ家に住んでいるわけでもないし。
マンションを1つの家だと拡大解釈するなら話は別かもしれないが、それにしたって挨拶を交わすだけの仲なのだから距離が近すぎる気がする。
「こんにちは」はどうだろう。
バッタリ会ったときの挨拶としては適切だ。
しかし、「おかえり」に対する返答としてはいささか不自然ではないか。
「おかえり」
「こんにちは」
なんだアスペか?帰ってくれ。
考えすぎだということは百も承知だが、一度気になりだすともう安易に「ただいま」とは言えない。
おかえりと先に言われた時点で「詰み」なのだ。
僕は高校に上がる頃にはその事に気付き、おかえりと言われる前に先手をとって「こんにちは!」と言うようにしていた。
いつも自分から元気よく挨拶をするので、母親から聞いた話だと「挨拶の出来るいい子だね」と言われていたらしいが、その実はただ「おかえり」と言われるのを避けているだけだったのだ。
え?じゃあそれ以前はどう返してたかって?
正解が分からなかった小学生の僕は、「どうも」って返してました。
嫌な子どもだな~