じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

2021年2月8日の日記


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今日の昼は腹ペコだったので、テンションが上がって普段絶対買わないタイプのカップ麵を買ってしまった。

売ってますよね、こういう1000キロカロリーあってお湯1リットル近く使うカップ麵。

 

絶対に臭いだろうな、と思って居室とは別の部屋に移動して食べた。

ソースの袋を開けた瞬間、ニンニクの強烈な刺激臭が広がる。

 

肝心の味はというと、豚骨豚骨豚骨豚骨豚骨豚骨ニンニクニンニクニンニクニンニクニンニクラー油!!!って感じだった。バカの味だ。食べた瞬間IQが5になった。

 

勢いでなんとか食べきったが、ニンニクと辛味の刺激でまだ胃もたれしてる…

 

 

 

 

 

今日は、小中学生の頃のことを思い返していた。

 

エントリーシートに、「現在の自分を形成した出来事」を小中学生の頃から書く必要があったからだ。

さすがに小中学生時代のことまで用意していない。

 

それで子供の頃のことを思い返してみると、自分を形成した、とまではいかないが、現在の自分の人格を象徴する出来事を思い出した。

 

 

 

 

小学生の頃の話だ。

 

 

僕は今と変わらず、人を笑わせること、目立つことが好きで、同時にゲームや漫画が大好きな小学生だった。

 

当時僕はクラスの有志数人を集めて月刊で漫画雑誌を作り、教室後ろのロッカーに配置するという活動を自主的に行っていた。

 

漫画雑誌とはいっても、ちぎった自由帳にボールペンで書いた漫画を束ねてホッチキスで留めただけのものだが、休み時間には他のクラスの人にも回し読みされるほどには人気を博していた記憶がある。

 

小学生の描くものなのでクオリティはお察しの通りなのだが、

参加している一人一人が毎月オリジナルで考えた漫画を載せていたので、今にして思えばうちの小学校は相当文化レベルが高かったんだな、と思う。

僕はその雑誌でギャグ作家兼編集長を務めていた。

 

 

そんなある日、件の雑誌の、僕の漫画のページに「〇〇のパクリ」といった内容の落書きがされるという事件が起きた。

 

今にして思えば小学生の僕が描いた漫画はどこかで見たようなネタばかりだったのだろうが、

いじめなどとも縁のなかった当時の僕からしてみれば、生まれて初めて悪意にさらされ怒りを抱いた経験である。衝撃的だった。

それこそ今でもはっきりと覚えているほどだ。

 

 

そんな悪意に対して小学生の僕がとった解決法は、

「翌月の雑誌に、落書きをした人に対して、”いかにあなたが間違っているか”の理由とともに非難の言葉を並べ立てる」というものだった。

皆に公開される誌面で遺憾の意を表明するという、自分でいうのもあれだが小学生らしからぬ方法だ。

今でいうお気持ち長文ツイートみたいなものだ。

 

 

結局この事件の結末についてまでは覚えていないのだが、こういう、言われっぱなしじゃ済ませない反骨心とか人間関係を恐れずに間違っていると思うことを非難するところは、現在でも全く変わっていない人格の根幹の部分だと思う。

 

以上が僕の、自己を形成したというよりは人格を自覚した出来事だ。

 

もうESにこれ書いたらええか。