"なぜ勉強しなければならないのか?"という問いに対する回答の一例
塾講師のアルバイトを始めて、もう5年目になる。
我ながら長く続いたなと思うが、
ここまで続けると、授業のなかで生徒から受ける質問のパターンなんかもだいたい読めるようになってきた。
授業内容に関することを除けば、
生徒から受ける質問というのは「大学って楽しい?」「先生高校の時なに部やったん?」というような可愛いものなのだが、
(まれに「先生って彼女おるん?」というようなナンセンス極まりない質問をされるが、そういう生徒は両の鼓膜を破って勉強だけに集中できるようにしている)
年に一回は必ず聞かれるのが、「なんで勉強しなきゃいけないの?」という問いだ。
「因数分解が将来なんの役に立つの?」というふうにより具体的な場合もあるが、
この種の質問は答えるのが非常に難しい。
より正確に言うならば、子どもを納得させられるような回答を用意することが難しい。
よく使われるのが「勉強しないと将来困るよ」だとか、「将来なりたい仕事になれるように」だとかの回答だが、
正直言って将来とかフワッとしたことを言われても子どもは納得できないと思う。
少なくとも子どもの頃の私はそうだった。
他に、Twitterで見たことのあるものとしては
「勉強すらできない君が社会に出て何の役に立つんですか?」
という回答もあるが、これは論破コピペとしては成立しているものの、さすがに意地が悪すぎると思う。
普通に子どもの人格形成に影響を与えるんじゃないだろうか。
この問いの難しいところは、相手が子どもである以上、先に述べたような正論が必ずしも通じないところだ。
つまり子どもに理解できる回答を用意する必要があるのだ。
そこで私は塾講師としての経験を通して、「偉人の言葉を借りる」というメソッドを編み出した。
そう、こちらとて講師といえど、生徒と10歳も変わらない若造である。
本職の教師ならさておき、しょせん子どもの納得する回答なんて持ち合わせているはずもない。
そこで、偉人の権威を借りるのだ。説得力というのは「誰が言うか」によって決まるものだが、
まだ脳が未発達な子どもならば、偉人の言葉を借りておけばなんとなく納得してくれる。
今回は、私がこのメソッドを編み出して以来、引用することで何人もの小中学生を黙らせてきた名言を紹介するので、
小中学生に「なぜ勉強しなければならないのか」聞かれた際は、ぜひ参考にしてほしい。
作家・太宰治は、自らの著書「正義と微笑」の中で、
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
と記している。
つまり、「勉強したことを全て忘れたとしても、そのなかで面白いと感じたことは自分の中に残っているもので、覚えた知識よりも勉強すること自体に価値がある」と太宰は書いているのだ。
そう考えれば、「勉強をしない」ということ自体が大損ではないか。
いかがだろうか。
これをくだけた言い方で説明してやれば、
今までの生徒はもれなく納得してくれて、しばらくは熱心に勉強してくれる。
まあ太宰治自身は自殺未遂繰り返して薬物中毒になって最終的に自殺してるんですけどね。
おわり