じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

2021年2月5日の日記


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セブンのサンドイッチが好きだ。

週3くらいでこの野菜ミックスサンドイッチを昼に食べている。 

野菜が摂れるのもいいし、大学生協のサンドイッチとは違って具がはしっこまで挟んである。

 

 

 

朝寄ったコンビニで「お買い上げ700円以上でガソリン5円/L引きクーポン」というキャンペーンがやっていた。20L入れたら100円引きだ。

これは嬉しいぞと思って勘で合計700円くらいになるよう商品を手に取り、レジへ持っていく

 

685円だった。

 

勘で買うもんじゃないですね。 

 

ただ、金額調整のためにと思って初めて買ったホットスナックのささみ揚げ(梅しそ)がめちゃくちゃ美味しかったので全体的にはOKです。

 

あれ買ったことあります?

個人的にはななチキより美味しかった。(しかもななチキより安い)

ササミが異常に柔らかかったので、なんかヤバいもんがたくさん入ってるんだと思います。

また買お。

 

 

 

 

 

今日は動物実験の最終日でした。疲れた…。

やはり精神的にも集中力的にも、僕のキャパシティでは一日5匹が限界だ。

 

 

 

実験中はマウスを麻酔にかけるが、寝ている間にマウスはめちゃめちゃ糞尿をする。

それを見てふと、ヒトの場合はどうなんだろう?と思った。

 

使っている麻酔はイソフルランという、人間にも使われる吸入麻酔薬だ。

もし自分が将来、全身麻酔の手術を受けるとして、術中に糞尿垂れ流しだったらめちゃめちゃ嫌だな。

 

そう思ってちょっと調べてみると、どうやら昔は、僕の危惧しているような術中の失禁を避けるために手術前の腸内洗浄ルーチンワークとして行われていたらしい。

さらに整形外科手術では、術中失禁による感染症の事例も過去にあったそうだ。

 

 


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しかしながら現在は「これ要らないんじゃね…?むしろ洗浄しない方が感染しにくいんじゃね…?」という風潮になり、術前処置としての腸内洗浄は行われていないらしい。

実際は術中失禁自体ほとんどないらしい。

 

良かった~。

これで安心して手術を受けられますね。予定はないけど。

 

もう今日は体力の限界なので熱めのお風呂に入って寝ますね。

 

 

2021年2月4日の日記


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KALDIのこのチョコレート、300円くらいするけどデカくてうまいので結局コスパは良い。

裏の原材料を見るとカカオマス、砂糖、ココアバターの3つだけだったので何となく体にも良さそうだ。

 

 

 

今日は午前に企業のOB交流会に参加して、午後から研究室に行って実験しました。

やっぱり今月に入ってから一気に就活が本格化してきた実感がある。

 

人によっては不満かもしれないが、出不精の自分にとってはオンラインでほぼ全てのイベントに参加できるのはありがたい。

 

自宅からのイベントへの参加が多いぶん、リクルートスーツを着用する機会が例年より激減しているのも嬉しいところだ。はりきって下を2着買っちゃったけど要らなかったな…。

また、面接の際に画角が切り取られるのも個人的には助かっている。

見える範囲だけ整えればいいので、靴がスニーカーとかでもばれないからだ。

 

今年の就活生が被害を被っているのは間違いないけど、こんなふうに就活が今年一気にオンライン化したことによるメリットもたくさんある。

悪い面ばかりを見て現状を呪うのではなく、ちょっと視点を変えて気持ちの落としどころを見つけていきたいですね。

 

 

 

↑なんでこんな文化放送のラジオみたいな話してんだろう↑

 

 

今日はいつも以上に頭を使わず日記を書いてるな。

タイピングする指がほぼ慣性で文字を打ってる。そりゃ文化放送にもなるわな。

 

 

ちょっといい話風のことを書いたのでバランス取っとこう。

 

先ほど就活のオンライン化にはメリットもあると述べたが、もちろんデメリットの方が大きい。

 

一番のデメリットは何と言っても、僕が最もフェチシズムを感じる服装であるところの、リクルートスーツ姿の女子が生で見られないことだろうか。

だからこそオンライン上でリクルートスーツ姿の女子を見るとより感謝の気持ちが際立つというか、「ありがとう」の気持ちで胸がいっぱいになる。

 

こういう表現って今大丈夫なんですかね?もしアウトだったら教えてください。

 

 

リクルートスーツに限らず、女性がいかにも着慣れてなさそうな「着せられてる」感じの服装をしてるとすっげえグッとくるんですよね。

 

僕が一時期ハマっていた(今もだけど)ラブライブというコンテンツでは、声優の方がメディアに露出する際には演じているキャラクターに合わせた制服風の衣装で登場するんですが、

20代もそこそこの声優さんが学生服っぽいのを仕事で明らかに着させられてるのを見て僕はめちゃくちゃグッと来てたんですよね。ここに白状します。

 

 

これで良い話とのバランスは取れただろうか。

 

赤字か。

 

 

2021年2月3日の日記


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アルフォートのホワイトチョコのやつ美味しい。

100円という価格に対してうますぎるし、(僕にとっては)量もまあまあ入ってる。

 

部屋に常備して、1箱を4日くらいかけて消費してます。

 

 

 

昨日から今日にかけて、Twitterにて、とあるアンケートを取った。

 

 

 

「人は死んだらどうなると思うか?」という問いだ。

サンプルは恐らく僕のフォロワーであろう21人。年齢は僕と同じ20代が圧倒的に多いと考えられる。

 

結果を見てみると、人は死ぬと「無」になると考えている人が大半を占めていることが分かる。

回答者の大半は、人間を物質として捉えているリアリストだといえるだろう。

 

選択肢は僕の主観で意見の多そうなやつにしたが、ほか三つの選択肢は、どれも永遠に続くことを示唆している。

文字数の関係もあったが、さすがに死んでも終わりがないなんて救いがなさ過ぎたか。

その辺の願望も結果に反映されてしまったかもしれない。

 

 

ちなみに僕も大多数の回答と同じく、基本的には、人は死んで脳の電気信号が切れた瞬間にただのタンパク質になると思っている。

 

ただ、死んだあともしばらく残り香のように自分の意識が漂っていて、徐々に自己の境界が溶けて消えてゆく、という解釈もロマンティックでいいんじゃないかな、と思っている。

 

 

 

それでは、この結果から「幽霊」というものはどう解釈できるか。

 

幽霊というものが、僕が先に述べた「意識の残り香的なもの」とは異なり、生前と同じように自分の意識がはっきりと残っているものだと仮定する。

 

そのうえで、僕や回答者の多くのように、「死んだら無になる」という考えを持つ人が幽霊になったらどう感じるか。

 

「思てたんと違う!」

 

これだろう。

まるでドラゴンボール人造人間編のように、これで終わりだと思っていたのに実はまだまだ続きますよ、と知らされたら、脱力感とともに心細さから強い不安を感じるはずだ。

 

すると幽霊となった我々が次に起こす行動は容易に想像がつく。

 

同じ境遇の人間、つまり幽霊を探しに行くはずだ。

人間は社会的動物なので、たとえ幽霊になったとしても他者との関わりを本能的に求めるに違いない。

 

幽霊を探しに行くとなればまず思い当たるのは、墓地や廃墟などの「幽霊が出そうな場所」だろう。

ここまでご理解いただけただろうか?

 

つまり、仮に幽霊の存在を認めるならば、我々が死後起こす行動は、

幽霊が幽霊を探すために幽霊のいそうな場所へ移動する」というわけだ。

 

 

以上の僕の仮説が正しければ、

 

墓地や廃墟などの心霊スポットに関しては

「幽霊が出るから不気味」なのではなく、

「不気味だから幽霊が出る」ということが言える。

 

 

すなわち、以上仮説に基づいた最も効率的な「場」の除霊法は、

「その場を幽霊が出なさそうな外見にしてしまう」という方法だろう。

 

ゴキゲンな原色の壁紙に張り替えるのもいいし、サンリオキャラクターをラッピングするのもいい。

パワー溢れるベンチプレスを置いたりするのもいいと思う。

 

あるいは、場所全体を鳥貴族みたいな木目調にしてもいいかもしれない。

絶対鳥貴族に幽霊出ないだろ。

 

 

以上、霊障に悩まされているよという方は是非試してみてください。

(責任は一切取りません)

 

 

 

 

 

2021年2月2日の日記



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手ぶらでコンビニに行ったにもかかわらず袋を断ってしまったので、素クレープを持ち歩いて帰った。風強かったっすね、今日。

 

味の感想の方は、

「クレープの中にスポンジを忍ばせてかさ増しするのをやめろ」この一言に尽きます。

クレープとしてのプライドはどこにいったんだ、おい。

 

 

 

 

 

今日は大学に行かず、3時間半と重めの就活イベントにガッツリ参加していた。

僕の第一志望群に入る企業のものだ。

 

今になって、自分がめちゃくちゃピーキーな就活をしている気がして不安になってきた。

というのは、インターンに行けたりイベントに積極的に参加しているのは本当に興味のある数社のみで、他はそもそもあんまり見てなかったりするからだ。

要するに、落とされた時のことをあんまり考えていない。

 

大学受験の時も、浪人する気はないくせに結局今通ってる1つの大学しか受けなかった。

リスクヘッジを考えないのはそっくり昔から成長していない部分だ。

 

一般的にはこういう性格を楽天家というのだろうが、自分としては楽天家とは少し違う気がしている。

 

楽天家というと、「失敗してもなんとかなるっしょ~余裕余裕」というイメージだが、

僕の場合は「失敗…する…?なんで…?いや失敗はしないつもりですけど……」という感じで、そもそも「失敗した後のこと」まで想像が至らないのだ。

 

それゆえに、「いや、失敗はしないと思いますけど…」という歯切れの悪いドクターXみたいなことを考えてしまう。

 

自分のこの性質を自覚しているからこそ、自分は経営者には絶対向いていないと思うし、技術で飯が食える理系に進んで良かったなとつくづく感じる。

 

 

 

それでも自分の「リスクを考えない」というこの性質を最大限活かせる職業は無いか、真剣に考えてみた。

 

「歩兵」なんじゃないか?

 

 

失敗する(=死ぬ)ことを一切考えずに迷いなく行動できるなら、割と歩兵が天職なんじゃないか?

 

でもさすがに死にたくはないから、日本が平和な国で本当に良かった。

それ以前に僕みたいなジャパニーズ・インドア・ナードは身体能力が不適合だから杞憂だろうけど。

 

いくら自分の性根でも自覚出来ているということは改善が可能な訳で、「リスクを考えない」ということについては自分の中である程度の線引きを決めて、矯正していこうと思う。

 

手始めにもうちょい色んな会社にエントリー出すか…。

 

 

 

 

2021年2月1日の日記


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最近初めて飲んだ、韓国焼酎の1種「チャミスル」。

口当たり良すぎて驚いた。

香りとか味はほとんど無くて、度数は17度もある。

ドラッグみが強いな、と感じた。

 

 

 

今日はTA(ティーチングアシスタント)として、丸一日かけて約90人分の学生の課題の採点を行っていた。

本当に疲れたので早くお風呂に入って寝たい。

 

僕が担当していたのは3年生配当授業の、授業内容に関する小テストのような課題だったのだが、その中に「入学前に想像していた弊学科と比べてギャップはありましたか?」という設問があった。

いわゆる感想文のようなものだ。

 

90人分も見ていると、「ギャップはない」「思っていたのと違った」などと一言書いただけの回答もあれば、真剣に考えたであろう過程が読み取れる内省的な文章、皮肉交じりに学科の教育体制に不満をぶちまけた回答もあり、後輩たちの実に様々な考えが垣間見え、面白かった。

ただ学科への憤りをここにぶつけられても、見るのは俺ら学生のTAだから学校には届かないんだよ。ごめんな。

 

その中でも一際異彩を放っていた回答があった。

さすがにここでは紹介できないが、そこには「彼」が入学に至るまでの過程や入ってからの失望、そして現状に対する苦悩などが淡々と、しかし実に僕なんかよりもずっと流麗な文体で綴られていた。しかも2000字は越えようかという文量で。

 

そんな、もはやショートエッセイと呼ぶべき回答には、「彼」が受験生時代、親からの説得で私立の行きたかった学部を蹴って京大の化学系に来たこと、昔も今も、化学には興味が持てないこと、今は大学院で転学部するために独学で「行きたかった学部」の勉強をしていることなどが語られていた。

 

偉い。偉すぎる。

 

僕が「彼」の立場だったなら今の環境に甘んじて惰性で大学に通い続け、興味もない研究に生活の大半を捧げていただろう。

自分から進んで変化を掴みに行くというのはとんでもないエネルギーが必要だ。

そういったエネルギーを以て行動を起こせる人というのは、自分が絶対になれないからこそ尊敬できる。

 

採点以上の権限が僕にないのが大いに悔やまれるところだ。

見るのは俺ら学生のTAなんだよ…。

 

大丈夫、その文章願書にコピペして持ってったら絶対受かるよ!そう言ってあげたい。

 

仮に落ちてしまったとしても、自らの希望を自分で叶えに行く精神性を持っている「彼」ならば、どうとでもなるだろう。

 

こういう話が読めるのはTAの役得というか、唯一良いことですね。

 

 

 

 

30日間、約3万字日記を書いて気付いたこと(2021年1月31日の日記)


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nice cake.

 

 

 

今年の元旦に思い立って始めたこの日記も、早いもので今日で1ヶ月を迎えた。

1日約1000字を目安に更新し続けてきたので、1ヶ月で1000×30で3万字を書いたことになる。

内容はともあれ、元々熱しやすく冷めやすい性格の自分がよくここまで続けてこられたな、と手前味噌ながら思う。

 

 

さて、日記を書き始めて1ヶ月が経過した現時点で自分なりに気付いたことがいくつかあるので、ここに記して今日の日記と代えたい。

 

 

 

①観察力がついた

 

これが一番の気付きかもしれない。

「観察力がついた」というよりは、「物事に対して意識を向けるようになった」と言った方が正しいか。

 

毎日日記をつけるつもりで生活を送っていると、意外に発見や気付きは転がっているものだ。

なにより最も大きな変化は、日常の「景色」として処理していた物事に対する解像度が上がり、自分の心の動きを言語化する癖がついたことだ。

広い意味で自他に対する観察力がついたことは、日記を始めたことによる収穫と呼んでもいいかもしれない。

 

 

 

 

②意外とネタ切れにはならない

 

前述したように観察力がついたからか、日記を書き始めた当初恐れていたネタ切れという事態には未だ陥っていない。

それどころか、「ツイートには収まらないけど人に話すほどではない」というようなことを形にする場が出来たので、むしろまだまだ書きたいことがある。

ただ何でもかんでも日記に書くと、僕のブログを読んでくれているリアルの知り合いと会った時に話すことがなくなるので、その辺は支障をきたすことのないようにしたい。

 

 

 

 

③更新に対するハードルが下がった

 

これには良い面と悪い面の両方があると思っていて、

まず良い面というのは、とりあえず完成品の体裁に整えて書き上げる作業を繰り返すことで、モチベーションの坂を上りきって完成させる力が付いたことだ。

これまでは文章を書きかけていても、途中で飽きたり面白さに疑問を感じて投げてしまうことが多かったが、「毎日書く」というハードルを自分に課すことによって、とりあえず今日の分を形だけでも書き上げねばというモチベーションが生まれた。

これにより、途中で投げずに最後まで完走する力がついたと思う。

 

一方で悪い面というのは、「形だけでも」とハードルが下がりきってしまったことにより、質や読みやすさというものをあまり考慮しなくなったことだ。

毎日書いていると推敲はほぼする時間がないし構成を練っている暇もないので、頭の中身を箇条書きしたような文章になってしまう。

 

あとで読み返したときに分かりにくかったり誤字が酷かったりするのは、今日からでも改善していきたい。

 

 

 

 

④リソースが奪われる

 

当初は「1000字だったら10ツイート分くらいだから、30分もあったらサッと書けるやろ」と高をくくっていたが、実際には平均してだいたい毎日1時間弱を日記に割いている。

この1ヶ月だけでも、少なくとも30時間を日記に費やした計算になる。

30時間あったらもっと色んな事をできたな…と思ってしまうのは、日記を書き始めて後悔した唯一の事といってもいい。

まあ実際にはスマホ見てゴロゴロしてただけなんだろうけど。

 

 

 

 

以上のように、1ヶ月間日記を書き続けてみて、良い面もあればそれなりに負担もあることが明らかになった。

文庫本一冊がだいたい20万字らしいので、まずはそこを目指してしばらくは毎日書き続けたいと思います。

 

2021年1月30日の日記



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 こういう状態の電柱のそばを通るとき、うっかり触れたら感電しそうで緊張する。

 

 

今日の昼、近所の200円均一の寿司屋で食事をしていると、MISIAの包み込むように…が流れてきた。

寿司をつまみながら聴くMISIAのホイッスルボイスがなんかシュールで面白かった。

 

今日は天気が良かったので、いつもより家から遠い大きめのスーパーへ買い物に行った。

 

僕は、だいたいスーパーは気合いが入っているところとやる気のないところで二極化していると思っており、実際に近所の酷いところとかだと、キムチが一種類しか置いてなかったりする。

消費者側のワガママかもしれないが、キムチくらいは何種類かから選ばせてほしい。

 

一方で僕が今日行ったところは前者で、お酒や加工食品も色々な種類が置いてあって見ているだけで楽しい。

 

 

例えばおつまみコーナーのミックスナッツひとつとっても様々な種類が置いてあってあり選びたい欲求というものを満たしてくれる。

 

しかしながら一点だけ不満点というか、不可解な点がある。

 

それは、陳列されているミックスナッツの全てが食塩無添加の、塩のかかっていないやつだということだ。

 

なんで?

 

なんで塩かけてくれないの?

 

塩かかってたほうがおいしいじゃん?

 

まあ需要はあるんだろうし、食塩無添加のミックスナッツが置いてあってもいい。

しかしながら、塩のかかったやつがひとつも置いてないのは困る。なぜなら塩がかかってたほうがおいしいからだ。

 

いや待てよ。普通に考えれば塩のかかったやつも売るだろうし、何か店側にも「食塩抜きのミックスナッツしか置かない意図」があるのかもしれない。

それを僕の想像力が及ばないばかりに批判していたとあっては、あのスーパーに対して申し訳が立たない。

 

想像してみよう、塩抜きのミックスナッツ”だけ”を置く理由を。

 

 

ひょっとして、「健康」か?

 

客が味の濃いおつまみだけを食べ続けて高血圧になるのを防ぐために、批判を受けてでも客の健康のために無塩のおつまみを推しているのだろうか。

 

なんという思いやりだ。

客の健康を思いやっての店の方針だったとは。

 

 

まあ僕は今そのミックスナッツに塩かけて食べてるんですけどね。

なぜなら塩がかかってたほうがうまいので。