じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

2021年2月3日の日記


f:id:nobuyaguitar:20210203213243j:image

 

アルフォートのホワイトチョコのやつ美味しい。

100円という価格に対してうますぎるし、(僕にとっては)量もまあまあ入ってる。

 

部屋に常備して、1箱を4日くらいかけて消費してます。

 

 

 

昨日から今日にかけて、Twitterにて、とあるアンケートを取った。

 

 

 

「人は死んだらどうなると思うか?」という問いだ。

サンプルは恐らく僕のフォロワーであろう21人。年齢は僕と同じ20代が圧倒的に多いと考えられる。

 

結果を見てみると、人は死ぬと「無」になると考えている人が大半を占めていることが分かる。

回答者の大半は、人間を物質として捉えているリアリストだといえるだろう。

 

選択肢は僕の主観で意見の多そうなやつにしたが、ほか三つの選択肢は、どれも永遠に続くことを示唆している。

文字数の関係もあったが、さすがに死んでも終わりがないなんて救いがなさ過ぎたか。

その辺の願望も結果に反映されてしまったかもしれない。

 

 

ちなみに僕も大多数の回答と同じく、基本的には、人は死んで脳の電気信号が切れた瞬間にただのタンパク質になると思っている。

 

ただ、死んだあともしばらく残り香のように自分の意識が漂っていて、徐々に自己の境界が溶けて消えてゆく、という解釈もロマンティックでいいんじゃないかな、と思っている。

 

 

 

それでは、この結果から「幽霊」というものはどう解釈できるか。

 

幽霊というものが、僕が先に述べた「意識の残り香的なもの」とは異なり、生前と同じように自分の意識がはっきりと残っているものだと仮定する。

 

そのうえで、僕や回答者の多くのように、「死んだら無になる」という考えを持つ人が幽霊になったらどう感じるか。

 

「思てたんと違う!」

 

これだろう。

まるでドラゴンボール人造人間編のように、これで終わりだと思っていたのに実はまだまだ続きますよ、と知らされたら、脱力感とともに心細さから強い不安を感じるはずだ。

 

すると幽霊となった我々が次に起こす行動は容易に想像がつく。

 

同じ境遇の人間、つまり幽霊を探しに行くはずだ。

人間は社会的動物なので、たとえ幽霊になったとしても他者との関わりを本能的に求めるに違いない。

 

幽霊を探しに行くとなればまず思い当たるのは、墓地や廃墟などの「幽霊が出そうな場所」だろう。

ここまでご理解いただけただろうか?

 

つまり、仮に幽霊の存在を認めるならば、我々が死後起こす行動は、

幽霊が幽霊を探すために幽霊のいそうな場所へ移動する」というわけだ。

 

 

以上の僕の仮説が正しければ、

 

墓地や廃墟などの心霊スポットに関しては

「幽霊が出るから不気味」なのではなく、

「不気味だから幽霊が出る」ということが言える。

 

 

すなわち、以上仮説に基づいた最も効率的な「場」の除霊法は、

「その場を幽霊が出なさそうな外見にしてしまう」という方法だろう。

 

ゴキゲンな原色の壁紙に張り替えるのもいいし、サンリオキャラクターをラッピングするのもいい。

パワー溢れるベンチプレスを置いたりするのもいいと思う。

 

あるいは、場所全体を鳥貴族みたいな木目調にしてもいいかもしれない。

絶対鳥貴族に幽霊出ないだろ。

 

 

以上、霊障に悩まされているよという方は是非試してみてください。

(責任は一切取りません)