じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

2021年1月9日の日記


f:id:nobuyaguitar:20210109221121j:image

 

土曜日。休みなので、近所の喫茶店に美味しいコーヒーを飲みに行った。

 

コーヒーは好きで、カルディでいろんな種類の豆を買っては試している。

そうしていると、詳しくないなりにもコーヒーに対する解像度が上がっていき、自分の好みというものが分かってくる。

 

コーヒーの味は「苦味」「酸味」「キレ」「コク」の4つの要素で表現されることが多いが、僕は苦味とかコクの強いコーヒーを美味しいと感じるんだな、といったふうに、コーヒーだけでなく自分に対して新しい発見をするという楽しみも見出せる。

 

 

でも人にコーヒーを好きっていうのって、妙なハードルの高さが無いですか?

わざわざ好きと言うってことは詳しいんでしょ?みたいな雰囲気を感じてしまうのだ。「コーヒー好きならあれ飲んだことある?」みたいなこと言われたらどうしようという不安が常に自分につきまとってくる。

「○○が好きなのにあれ知らないんだ…」みたいに思われる、ガッカリさせてしまう不安。

 

コーヒーに限った話ではない。日本酒や映画、音楽なんかでも「好き」って名言すると自分を試されそうな感じがしませんか?

 

現実にはそんなこと言ってくる人周りに居ないし、気まずさを感じたことも無いのでもうこれは完全に杞憂というか、ほとんど病理だなと自分でも思っているのですが、好き=詳しいみたいな風潮無くなってくんねえかな…。

 

実際のところ、自分の「好き」はどんどん表明していった方が良いと思っている。

そういう所から機会に繋がることも多いので。

2021年は自分への解像度を上げて、好きを表明していく一年にしようと思います。