じふのブログ

人は、語ることの出来ないものに対して沈黙しなければならない。

2021年1月29日の日記


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食べました。

 

正直セブンの新商品は食べたくなって買うというより、「味を確認する」ためにとりあえず買っちゃうんだけど、これは本当に美味しかったです。また買お。

 

ただ、味の方は完全においしいんだけど、レアチーズクリームがやわいので歯を立てると横からニュッと漏れて下みたいな感じになる。かなり食べるのが難しい。

そこは注意が必要だ。

 

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僕は普段、食べたいものを食べたいときに、欲望のままに食べる食生活をしている。

 

歳をとったときに激太りしそうだな、という不安を常に頭の片隅に抱きながらも、実際はそれほど心配していない部分が大きい。

 

というのは、僕自身が元々割と小食な方であり、「野菜を摂らなければ」という強迫観念が人並み以上にはあるからだ。

 

そもそもお腹いっぱいまで食べたいという欲求がほとんどなく、どちらかというと良いものを少しだけ食べたい。

スーパーカップを二個食べるよりもハーゲンダッツを一個食べたいし、毎晩発泡酒を飲むよりも、週末に生ビールのロング缶を飲みたい。

 

 

たとえ金欠で買う頻度を減らしたとしても、「嗜好品にケチらない」というのは僕の一つのポリシーだ。

 

あくまでこれは僕個人の考えで、もちろん人によって考え方は様々だろうが、

お菓子やお酒なんかの嗜好品は心の栄養なので、少なくとも僕にとっては生きていくのに欠かせないものだ。

刑務所でも定期的にお菓子は食べさせて貰えるらしいし。

 

その嗜好品を妥協して自分を誤魔化すと人間どんどん心が貧しくなってくるので(経験上)、僕はそこだけは死守したいと思う。

 

妥協しないってとこがミソで、さっき「発泡酒よりも~」とか書いたが僕はサッポロのGOLD STARの味が好きでよく買う。

発泡酒ながらしっかり重いし、何より安いから(言い方は悪いが)気兼ねなく雑に飲んでも許される感じがするのが良い。

 

 

 

野菜を摂ることへの強迫観念については、別に親からそういう教育を受けて育った訳ではなく知らないうちに自然と身に付いた感覚だと思う。

忙しかったりしてたまたま野菜をとれない日があったりするとその日の夜は漠然とした不安感に苛まれ、その翌日に一日分の野菜を二本飲んだりして辻褄を合わせようとする、そんな毎日だ。

 

こうして書いてみるとめちゃくちゃ健康的な神経症だ。

 

他にも1000キロを超えるカロリーへの恐怖があったり、菓子パンを意識的に避けてる部分はあるから、神経症というよりも自分は意外と健康への執着心が強いのかもなと感じる。

 

だったら夜の10時にクッキーサンドなんか食うなよこのバカ!

 

 

っつってな。